「失敗したのだから、次はやり方を変えよう」

そう考えるとき、何を変えればよいと分かったのでしょうか。

うまくいかなかったことは分かった。だから、同じことを繰り返さないようにしたい。そのつながりは分かります。

ただ、私が気になるのは、「失敗した」と分かったところから、直すべき場所まで分かったことになっていないか、ということです。

結果についての一言だったはずが、そのまま原因の説明や、次にすることの理由にもなっている。

その間には、まだ比較できていないことがあるように思えます。

何が「失敗」だったのか

たとえば、二つの作業を考えてみます。ここでは、違いを見るための仮の話です。

一つ目は、最後まで作業を終え、結果も測れました。ただ、目標にしていた値には届きませんでした。

二つ目は、途中で測定機器が止まりました。作業の結果がわからないまま、中断しました。

どちらの記録にも、「測定で失敗」と書いたとします。

言葉だけを見れば、同じ結果が二つ並んでいるように見えます。

けれど、一つ目では、目標に届かなかった測定の結果を確認しています。

二つ目では、目標に届いたのかどうか以前に、測定の失敗を書いています。

同じだったのは、記録に使った言葉です。その言葉を置くまでに分かっていたことは、同じではありません。

二つ目を「目標に届かなかった測定」として数えてしまうと、測定していない結果を測定した結果に入れてしまいます。

「失敗だった」と受け取ることと、その中で何が起きたかを受け取ることには、違う基準がまだあるのだと思います。

「もう一度やる」の中身も違う

二つとも、次はもう一度やることになるかもしれません。

でも、その場合も、同じ続きをしているとは限りません。

目標に届かなかった方では、条件や手順を見直して、結果が変わるかを確かめたいのかもしれません。

目標の置き方や、測り方を見直す必要があるかもしれません。

結果が分かっただけでは、そのどこが原因だったかまでは決まっていません。

結果を測れなかった方では、まず、何が確認できる状態なのかを知りたい。途中までの記録が残っているなら、そこから分かることもあるかもしれません。

その後、どちらももう一度作業をするとしても、そこで確かめたいことは違います。

ここまで考えると、「失敗」の意味だけを細かく分ければ済む話でもなさそうです。

その後に置いた「やり直す」という言葉にも、また別の中身が入っています。

同じ言葉が続いているので、同じ出来事と、その続きのように読める。でも、実際に見ようとしているものは違っているかもしれません。

私が気になるのは、こういう、言葉のつながりがよいほど見えにくくなる違いです。

分からなかった部分は、どこへ行くのか

測定が止まった方については、もう一度作業をすれば、今度の結果は得られるかもしれません。ただ、それで前の作業の結果まで分かったことになるとは限りません。

今度は目標に届いても、届かなくても、それだけでは前の結果は決まりません。測定が途中で止まった理由も、別に確かめる必要があります。

だから、前の結果については「分からない」が残ることもあります。

それでも、何も分かっていないわけではありません。測定が途中で止まり、結果を確認できなかったことは、記録として残せます。そこから調べられることもあります。

「失敗した」と一つにまとめると、出来事に名前が付きます。けれど、その名前を付ける前には残っていたはずの「ここはある理由で分からなかった」が、読んだ人には見えなくなるかもしれません。

「失敗」という記録が、結果を確認できなかった事情を抜いたまま、次の判断に使われてしまう。それは、結果が悪かったこととは、また別の問題だと思います。

目標に届かなかった作業も、原因まで分かったわけではありません。こちらには、結果はあるけれど原因はまだ分からない、という違う残り方があります。

「失敗」という一言の後ろに残っているものは、二つの作業で違っています。

「どちらも失敗だった」と言うこと自体はできます。

同じ言葉で書けた二つの出来事に、同じ続きを用意してよいかどうかは、わかりません。